投稿

2017の投稿を表示しています

Google Home

音声版コマンドラインのように認識して使うのが良さそうに思えた。今のところ便利と感じたのは 今日の天気(「今日の天気」) 会社の電話番号(「東京都XXXの株式会社YYYの電話番号を教えて」) ラジオ(「ラジコでNHKをかけて」) 雑なBGM(「すぽてぃふぁいでジャズをかけて」) おみくじ(「おみくじ」) くらい。増えるとは思う。 今のところ各サービスで何が出来るかは事前に知っていないと太刀打ちできない。ラジコも放送局名が通らないとだめだし、Spotifyはご判定する。私のところだけかもしれないけど、次の例ははっきりいってなんでおきているのかよくわからない 「キラキラ星をかけて」→「きらきら星変奏曲を再生します」→「この曲は何」→「ハイドンの〜〜〜〜」 しょっちゅう指定と全く違う曲がかかる。「スムーズジャズ」はうまくいくことがあるが「フュージョン」だと「恋はフュージョン」にすっとんでくししかもそれが再生されない。無料アカウントだからかもしれない。「ビョーク」は認識しない。最後にはSpotifyに繋がらなくなった(無料アカウントだからかも) 再生中に「何してるの」と聞いたときに「コーディングの勉強をしてます」とくる。まぁ、AIっぽくはない。 赤ちゃん抱っこ中には助かる。よく言われる通りで「両手が塞がっている」状態で強い。とりあえず「ラジコでNHK」「ラジコでTBSラジオ」みたいのを覚えておけばそれだけで暇が1段階軽減される。もっとも一瞬赤ちゃんを寝かせてnasne起動しても大差ないんだけど、朝とか一時的な状況ではまぁ有効なこともあろうな。 手が塞がっているわけではないがその場に行きたくない状況(例: 料理中)にタイマー等は便利なこともある。沸騰後麦茶を覚ます10分をキッチンタイマーの代わりにGoogle Homeでやっても良い。ただ、タイマーの進行状況については逐次「残り何分」と聞かないと分からず、アナログよりは若干使いづらいように思うケースもある。 愚直にディスプレイ付属のものが欲しいってことになる。関連してNetflixを外側のIoT機器経由でないと頼れないとかそういうのが微妙なフラストレーションになる。「nasneの再生してない『おとっぺ』を古い順に再生して」とか出来ると良いのだが、単純に

ここ最近の見たり聞いたり考えたり

○ 子ども 第一子誕生後より第二子誕生後の方が精神的に厳しい状況が多い。当たり前かもしれない。厳しいのは新たに生まれてきてくれた方、ではなく、今成長中の子どもの方だ。「赤ちゃん返り」という極端なものではないが甘える度合いが大きくなり、成長とともに好奇心も増え、やんちゃも増える。 好奇心にまかせて育てるというのは思ったより(現在進行系で)つらい。道のりで近くの段差をはねたり降りたり、大通り横のガードレールに手をついたり登ったり(!)、保育園から出たと思ったら「もっかいバイバイするの」を2度しようとしたりする。ひとりなら10分の道のりで1時間かかることがある。そういうのを抑止するのは簡単だ。モンテッソーリってなに? ○ THIS IS IT 私は昔からターミネーター2が好きだった。特集番組をVHSテープに撮って何度も見ていたが、実はこの番組にマイケル・ジャクソンがいた。Black Or White。当時最新鋭のVFX技術によって人の顔がモーフィングするPVはT-1000のアレとベースが同じだった。そういう時代だ。 それ以外にマイケル・ジャクソンという人に興味はなかった。あるとき偶然THIS IS ITを見て「この人はすごい人なのだ」と素人目に認めるに至った。前提情報があまりない中で「すごい」と認識出来る人・楽曲・作品は、すごい。 THIS IS ITはメイキングである。よって完成品ではなく過程にフォーカスが当たる。このとき、パフォーマンスに納得の行かないときのマイケルの振る舞いにも惚れる。総じてそういう人なのだろう。問題を指摘すると同時に相手を感化もする。(良い部分をピックするのだがそうなるとはいえ)刺々しさが言葉からかけらも感じない。そして指摘は的確である。指摘の前後で雰囲気が変わる。 あるとき、逆の(あまり褒められたものではない)ケースでマイケルの凄さを認識する事もできた。スリラーをある別の番組で演奏するのを見た。ボーカルの声量が完全に負けていた。 単なる音量というだけではない。「スリラー!」と叫べば良い歌ではないのだった。スリラーのサビの部分ではなく冒頭の部分。相対的に声量が小さい部分。いかに静かに鋭く発生するかから既に技量が問われる歌なのだと逆説的に理解した。マイケルと言う人は、これに踊りも取り入れるのだ。桁が違う。 ○ ダン

サウルの息子

カメラが登場人物に非常に近く、終始全景が見えない。緊迫感というか圧迫感があるのだが、逆に言うと「何がおこっているか」が分からない。あらすじは理解しとくべきだったかもしんない。 終始解放感に類するものがない(しいて言えば最後にサウルが笑顔を見せる瞬間くらい)。見て楽しいという映画というものではないと思うが(そりゃそうだ)、「戦場のピアニスト」と同様で観た後に各所のシーンで「じわじわ」来る感があり、いわゆる「考えさせられる」感じはする。 ただ、言葉に出来るのかというとそれが難しく、「うーん……?うーん」と言うしかないみたいな、確かに考えてはいるのだけど説明に適した語彙が自分の頭にないため、思考停止に非常に近い「考えされられる」になる。ある意味面白い現象でもあり、逆に話してなんぼみたいな状況下だとこの映画は説明しづらい。この点、 この手の戦争映画は技巧の重ね合わせみたいのがあるんかなと。つまりもう少し古いものから順に見ていかないとついていけないかもしれない。あるいはそれらしいというだけで、そこには何もないかもしれない。 「ここは生者の場所」という主張とサウルの埋葬の対比について、自分の中で100%納得が出来ていない。サウルは良心だったんだろうか。この点で面白いと思ったのは、この作品はサウルが何を考えているか、作中でサウルはほとんど説明していないことだ。 それにしてもそもそも、前提になっている舞台そのものにいて自分がこのレベルの正気を保てる気がしない。まずその部分について乗り越えずにこの手の話を解釈出来るものなんだろか。

PyPIに悪意のあるパッケージ?

https://arstechnica.com/information-technology/2017/09/devs-unknowingly-use-malicious-modules-put-into-official-python-repository/ メモ Pythonで最も有名なパッケージレポジトリであるPyPIでは、現時点では、有名なパッケージに類似の悪意のあるパッケージを登録することは誰にでも出来る。パッケージ登録に事前の承認を要求せず、またコード署名の仕組み等も整っていないためインストール時に悪意のあるパッケージか否かを判断する方法は限られている。 悪意のあるパッケージは管理者によって最終的には削除されると期待される。ただし、その間に利用者が誤って悪意のあるパッケージをインストールする危険性はある。記事によると、実際に研究者等が誤解を招く名称でパッケージを登録すると、数日であっても一定数のインストール報告が得られたようだ。ボットによる自動取得等もあり得るため実害がどの程度あるかは不明だが、実際に誤ってインストールした人がいた可能性はある 記事に記載されている例では、本来Pythonにはじめからインストールされている(よってレポジトリを頼る必要がない)標準ライブラリ20個について、2日で7000超ダウンロードされたという報告が興味深い。バックポートの類( 参考 )と勘違いしたのか、あるいは標準ライブラリにあることを知らないまま無闇にインストールしているのか。 レポジトリの管理に十分なリソースが割かれているとは言えない状況に読み取れる。記事に記載されているPyPIからの回答によれば、PyPIにはフルタイムの管理者はおらず、アクティブな管理者は現在二人とのことだ。今後なんらかの対応を検討しているとはいえ、いずれにしても対応には時間がかかるし、このリソースの問題は引き続きついて回ると予想される この手の話は他のプログラミング言語のレポジトリでも話題になったと記憶している(例えば npm )

DQ11 衣ニズ 防具なし (3DS)

流石に惰性でやるのも最後だろう……。戦闘系は主要なものについてはもう流石にやることがない気がする。 前回から大してレベル上げ等もせず1回で倒せてるので、正直そこまで難易度の差はないと思う。ただ、装備あり衣ニズよりも戦闘時に必要な工夫がかなり増えた印象で、戦い慣れてないと辛いんかも。種ブーストまでは基本的に不要な感じだが、サクサク倒すのなら全体的に底上げしとくに越したことはないと思う。「準備に手を抜いた割には運良く倒せたかなー」という印象が残ったが、準備して楽勝になるかは分からない。 さて戦闘について。「防具あり」との差分で大事なのは 当然ながらダメージが大きい。特に終末の炎で600程度食らうのが大きい すばやさの問題でセーニャ等による回復が安定しない スーパーリング等に頼れず「けがれた霧」がとにかく面倒 といったところ。 「二度単体で攻撃を喰らえばベロニカ辺りは余裕で死ぬ」という味方の柔らかさ。HPが高いグレイグ等のキャラの強さが相対的に際立つようになる。特に「終末の炎」で600食らい、一部のキャラはHP満タンでも即死する。HPをカウントせずにピンポイントで腕を破壊するのは流石に難しいため、結局は「終末の炎」も喰らわざるを得ず、本体をグレイグ・マルティナ、カミュ、勇者等でフルに殴って死んだら死骸を大急ぎでザオリクするという運用になった。2〜3回食らった。 破壊するタイミングは制御できないものの、特に右腕は破壊すること自体にメリットがあるので、オープニングから右腕を優先的に削るスタートが良い気がする。瞑想が始まる前に一度くらいは破壊しとく方が安心感あるだろ、といった感じ。 本体だけ狙う方法だと後半の「けがれた霧」「終末の炎」を突破できるかは不安(試してないけど)。攻撃キャラをそこそこ柔軟に運用できる分、腕破壊をベースにしたほうが安定する気はする。 試すのも怖いし、範囲攻撃を封印しているわけでもないので、今回はダークミナデインを食らうのは避け、イオグランデ等で子どもを潰す運用とした。本体へのダメージの通りは良くないのだけど、ギガブレイク(主人公)やマヒャデドス(ロウ)等もコンディションを見つつ投入する。コンディションっつーのは要はHP減ってるのに前面に出すのは無茶ということ。 なお、ここまで知らなかったのだが、途中から左腕

ローグワン

他のことしながら見てたので感想も雑。 作品の立ち位置上ラストがああなのは仕方ないとして「これ作る意味あるのかなぁ」とかいう無粋な感想が……。良くも悪くも過去作のための過去作のためのもので、要素要素を過去作から引っ張ってくるので余計にギクシャクする。特にエピソード4の前時代的な施設を最新映像技術で再現するってのがなんというかもう最高にアレ。 こういうときはロボットを見ていれば良い。K2の「お別れです!」が良かった。一回のロボットにしてはやけに強いよな。

DQ11 衣ニズ 倒し方検討 (3DS)

○ 準備 レベルが高いに越したことはない 武器は強いに越したことはない 防具も硬い方が良い。ただし闇攻撃、混乱・幻惑・呪いに対する耐性を優先する 全員にスーパーリング+3を装備させる 回復役にほしふる腕輪を装備させる 可能なら全キャラクターに世界樹の葉と雫、エルフののみぐすりを持たせる 余ったアクセサリーのスロットにはロイヤルチャーム+3あたりが良さそうだったが、他にも良いものがあるかもしれない。 で、2パターン確認した。 ○ パターン1 範囲攻撃で腕も攻撃をする ベロニカのイオグランデ、カミュ(ブーメラン)の分身+デュアルブレイカー、ロウのマヒャドデス、主人公のギガブレイク等を主体として腕の破壊も兼ねた攻撃を行う。 邪神の子も一掃する想定。しなくてもいいけど。 腕がない状況だと瞑想をしないようなので、その点で相手HPを安定して削れる気がする。 また、腕を破壊することで攻撃の量が減り、またダークミナデイン・終末の炎等も防げる……はずなのだが、対衣ニズの準備済だとこれらの攻撃はそれほど怖くないのが実情。さらに、終末の炎を腕破壊で防いでも、相手に跳ね返るダメージは50程度で苦労の割には全く魅力的でない。 腕を回復する際の「時を奪う」等の対策として各キャラに個別回復のアイテムを持たせる方が良いかもしれない。 ポイントは瞑想を止めること。ロイのマヒャドデスやシルビアのローズタイフーン、ゴールドシャワーなども小ぶりながら範囲でちゃんと効くので、主火力がうまく機能していないときには上手く使う。 試したケース: 主人公、カミュ、ベロニカ、セーニャを中心としてカミュのデュアルブレイカーとベロニカのイオグランデを併用する。終末の炎などでは腕を破壊するためにグレイグ等に腕攻撃をさせたが、終末の炎が大して強力ではないことから本体攻撃で良かった気がする。 ○ パターン2 腕は放置して本体を中心に攻撃する グレイグ(全身全霊斬りなど)、マルティナ(氷結らんげき、さみだれ突きなど)、主人公(つるぎの巻など)、カミュ・シルビア(短剣)、ベロニカ等を駆使する。 腕を破壊する手段が限られるため、腕再生の過程で発生する「時を奪う」が発生しない模様。その代わりに結構な頻度で瞑想が使われる。 本体攻撃の火力と相手の回復力のどちらが

DQ11 衣ニズ (3DS)

イメージ
DQ11 (3DS)  当初やる気なかったのだが、衣ニズを倒すことにした。 個人的に「やり残した」と強く感じる要素があって、ずばり「裏ボスの衣を剥がさないで倒す」。 これである。 結論から言うと、単に手作業が多かった。やることをやれば本戦で苦労はしなかった。ターン制限ないのならきせきのなんたらまで用意する必要はあまりない。むしろドゥルダの試験のほうが面倒という意味で苦労した。 時の破壊者を倒した後にやったことは大体以下 完了していないイベントを完了する(ソルティコのイベントとか) 味方を強化する系統のクエストを完了する ネルセンの迷宮の第4ボス、第5ボスを倒す(倒してなかったので) リッカの宿屋で伝説のメダ女の制服を購入(アイテムドロップ率上げるため) ちいさなメダル110枚取る(メタキンレシピ欲しいので) スーパーリング8個作る(状態異常を防ぎたいので) ほしふる腕輪2個作る(特に回復タイミングを読みたいので) ドゥルダの試練をターン数制限含めて全て攻略する(ひかりの大剣欲しいので) 片手剣、大剣、両手づえ、スティック、ブーメランの最強武器を集める 鍛冶で装備品をおおよそ全て+3にする 一人Lv99になるまでレベル上げする(全員やる必要はなさそうだった) 上の順番にやったわけではないので注意。 武器を強化する必要があるかは謎だが、火力になるキャラの武器は揃えておく方が良い気がした。以下、各キャラの使った武器と個人的に武器を強化したほうが良かったキャラを示す 主人公 -> 片手剣 (☆) カミュ -> ブーメラン(☆) ベロニカ -> 両手杖 (☆) セーニャ -> スティック マルティナ -> 槍 ロウ -> スティック シルビア -> 片手剣 グレッグ -> 両手剣 (☆) 衣ニズの場合、主力となるキャラの武器を重点的に強化すれば良かった。とはいえどっちかといえばドゥルダの方の問題で全員最低でもS系の+3にはしている。守りは全員なるたけ固有装備もしくはメタキンにしとくのが無難。 メタキン装備のためだけにレースを何度もやるのは若干苦痛だった。レベルきっちり上げるのならこの作業は飛ばしても良いんかもしれない。 鍛

『ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに学ぶ クリティカル・メイキングの授業』

ロードアイランド・スクール・オブ・デザインに学ぶ クリティカル・メイキングの授業 - アート思考+デザイン思考が導く、批判的ものづくり もぅ、目がキラキラしちゃう!(☆▼☆) 校名に「デザイン」とあるのだけど、根っこは完全にアートかな、と思う。STEMならぬSTEAM(Art)を推進してる。 自己表現の語彙を増やす試みを徹底している。デザインという言葉が矮小化されてると感じるので、そういう意味ではアートの根っこを握るかのようなこの学校のような姿勢は余計に眩しい。「アートの生成過程ってそういうことか」とある意味で腑に落ちた。 私の語彙が少ないので説明しきれないのだが、とりあえずRISDというところは「アートを製作者の目線で分解して再構築する基礎的な道具の獲得」に対する拘りがすごい。ゴールに対する執着がとりあえずないに等しく、どちらかというと「正しくやってりゃどっかにたどり着くわね」みたいな突き放しが感じられる。この手の突き放しは社会との関わりで獲得するのは相対的に酷く難しい。 面白いものの本書の限界として、真似ることが出来るようなそういうレベルの教育ではなく、羨望の的にしか出来ないことがある。せめてもの救いは、都内は素人にも開かれた美術館・博物館、期間限定展示はたくさんあってヒントくらいは得られることかなぁと。

スプラ2

ガチについてはバランス調整が行われた、マップが変わった以外にやることが変わっておらず新規さはなかった。時間が取れないためAあたりで止めている。新規さがないことは面白くないことは意味しない。1も時間の問題で泣く泣くS+断念というのがあって、最近はゲームやるときにはそういうリミットがどうしても出てきてキツい(DQ11も同じ)。 バイトはほとんどやっていないが上位クラスの会話を聞くと協力ゲーの厳しさが面白そうだ。やっていないので何とも言えないが「期待したムーブをしない味方」というのは、はるか昔バイオハザードアウトブレイクで味方がドアを塞いでくる自虐プレイをしでかすという頃からこの手のゲームの面白みとなってる。それは論外として「ちゃんと動けよバカー!」という例はこの手のゲームで高レベルになるとすぐにあるんだなぁと。どっちの側(馬鹿にする側にも馬鹿にされる側にも)何回かはなっていて、それはそれはいつもいつも面白いのだけど、あいにく自分の中でスプラはそういうゲームでもないし、バイトはいつも出来ない。 最悪だと思われたのはヒーローモードで、これほど酷い作業ゲーを入れた理由は分からない。個人的にはシナリオもイマイチであった。この展開が好きな人がいるというのは分かる。何より真剣なはずのストーリーにおいてブキチが不要なブキを押し付けてくるのが信じられない。所詮茶番であることをストーリーの提供者が認めちゃだめだ。 そういえば1との心理的差分として、今回は負けたときに頭がカーっとはならんなぁというのがあった。嫁がこの辺り勘違いしてたんだけど、今回は苛立ってコントローラを投げ出したことは一度もない。実際、前回はあったのだけど、心理状態がどう変わったかは興味深いところではある。あるいは投げ出したのはガチのA+以降くらいだったから、そういう状況に出会っていないからか。 あと、偶然他プレイヤーのプレイを後ろから見る機会があって、S〜S+の人とC〜Bくらいの人で、同じステージでの立ち回りの差異が面白かった。具体的な説明は置いておく。C〜Bの人の操作の気持ちというのはよく分かる。S〜S+に関しては操作精度をその枠に押し上げる時間がないと思った。つまりこれ以上無理に上を目指すのは辞めておくのが分相応ということみたいだ。

DQ11 (3DS)

イメージ
感想適当に書いとく。裏ボス + 3DS追加ボスクリアまで。全体的にLv 70〜75くらい。 裏ボスまでで確か62時間。3DS追加のボス群を出す + 3DS追加ボス倒すのに約10時間。 上を見て分かる通り、全体的に達成度的なものは適当。試練は3つクリアしたがそこで願いは3つしか叶えてない(放置したのは本と髪)。道場っぽいところでも全部は進めてない。鍛冶は素材を探す面倒さから放置気味。クエストは前半は結構やったんだけど後半はやっぱり放置気味。味方強化出来るクエストでも多分やってないのがあるとかそういう雑な状態。 本作で個人的に一番感動した点として、戦闘システムが良くできている気がした。 ベホマラー等の範囲回復が隊列にいない味方に効く。これが地味にすっごい好き。 いてつく波動の系統が隊列から外れているキャラに効かない。ゾーンで大事。 レベルを過度に上げたりしないかぎりメンバーのスキルにいつもどこか抜けがある。スクルト、バイキルト、ベホマラー、ツッコミ、おはらい等々。レベルが上がると解禁されるキャラもいるのだけどタイミングが結構上手くズレてる。 ボスの攻撃パターンが、混乱、誘惑、眠り、行動停止、麻痺など、状態変化のバリエーションが豊富過ぎて、ボス初見では相手の特徴がとにかく読めない。 思ったよりいてつく波動の類が少ないので地味なスクルトとかピオリムが効くのが渋い(後半やっぱり波動系増えたけど) 全滅して同じボスと2度戦うのもイマイチだなぁという気持ちが自分の中にあって、「味方全員を総動員してアイテムも使えるだけ使ってでもボス初見突破を目指す」というスタイルになった。レベル上げをあまりしなかったことと相まって、どうしても全キャラ総動員みたいのが定着せざるを得なかった。 ただ特に前半は無駄に寄り道していたことがあって、それでも標準的なクリアレベルよりは少し高かったかもしれない。クリア時間も少しそれを反映している気がする。他の人がどういうプレイしてたのか、地味に気になる。 上の通りで、個人的には戦闘システムに感動を覚えたんだけど、このあたりは結局のところプレイヤー次第という気もしている。他の人が同じことを思っていたとはどうも思えない。実際、先にやっている人の話からは先頭の状態に併せてキャラを出し入れするなんていう話を聞いていない。むしろ

Human Resource Machine

体調悪くてゴロゴロしながらエンディングまでやってみた。 「あー、バブルソートしかやる気が起きない」とか思った辺りに年を感じ、最初の脇道で「40倍」と言われたときにN*(2^x+...)を思いつくまでに何分もかかって深刻にスキルの衰えを感じた。 http://peache55.com/archives/2044495.html 話題になってたのはSwitch版が出てたからか。知らずにスマホでやってた。

『異文化理解力』

イメージ
『異文化理解力』 面白い本の中でも特に「これ、いい!」と思う本に出会うとドラえもんの以下のコマを思い出す。 コミュニケーションでの「ハイコンテクスト」「ローコンテクスト」について、文化ごとに違いがあるという話はよく言われている。この本ではその他にも、相手を評価する方法、説得する仕方、チームを率いる方法、チームでの決断のスタイルなど、様々な側面で文化の差があるとしている。 「ハイコンテクスト・ローコンテクスト」の話で分かっていたつもりになっていたが、特にヨーロッパ諸国ですら、基本的な意思疎通がこんなに難儀するものなのかと軽く衝撃を受けるとともに、説明を受けると「なるほど」と思わずにいられない。 コミュニケーションや判断についての文化ごとの差異は、異文化で構成されたチームがうまくいくか、異文化間の交渉が成功するかしないか、といった実務的なトピックに大きな影響を与える。その影響は、しばしば双方にとって見えない形で発生し、最悪の場合には「文化の差」として認識することも出来ず、単に「相手が無礼だった」とか「仕事が雑」といった誤った理解とセットで交渉が決裂してしまう。オフショア開発の文脈で良く語られているエピソードが、全く別のものとして自分の中で理解されるに至った。 でもさ、こんなの、言われなきゃ、わかんねーよ。 読んでいて個人的に気になったのは、日本人の文化についての説明だ。最近では、ここで記述されている日本人とは異なるスタイルを取り入れている人々も増えてきた気がする「飲みニケーション」は若者にはしばしば嫌がられるし、意思決定で根回しを嫌がる人々・組織も増えた印象だ。自分が話を聞くのがIT関連の業種に偏っているからだろうが、本著のアメリカのベクトルに近づけようとする動きが相対的に強い。一方でそれが良いか悪いかの検討はあまり見聞きしない。 双方の良い面を取り入れるという明確な判断・意識があって行っているのであれば、もちろん素晴らしい。一方、他の文化の要素を取り入れる際に、一見して面倒な自文化の一側面に利点があることに無自覚・無知であるのは危険かもしれない、と思った。 各文化には、歴史的バックグラウンドとして複数の特性がセットで存在するように読み取れる。アングロサクソン、ロマンス諸語、儒教ベースの文化圏では哲学・宗教に近い根本の部分の違いから

「なんでもよい」と主張する「普通の人」に「オススメ」のパソコン・スマホ

結論から言うと「欲しいという人を連れて行って選んでもらい、NGではないかをこちらが確認する」が自分の好みということになった。元々パソコンについての話題があったのだが、少し考えた限りスマホでも大差ない。 自分が選ぶ場合には嗜好というのがあってそれを想定するのだけど、それは他人にお薦めできるたぐいのものでないことが多い。音楽ストリーミングの月額課金とかそういうの。表面上全プラットフォームを謳っていてもソフトの出来が悪いなんてのもあったりする。スマホについて言えば「対応していない・実質動かない」がさらにしばしばあり得る、らしい。 「なんでも良い」という「要件」も以前よりさらに判断が難しい(以前から難しいトピックだと思うけど)。相手は、実はカメラマニアであったりする。実はPCオンラインゲーム好きだったりする。既に自宅にあるVGAのブラウン管ディスプレイを使いたいとか言い出すかもしれない。何より予算がとても少なかったりする。3万円でいいんでしょ?みたいな。 「以前から誰にでもお薦めできるというものはそうそうなかった」といえばもちろんそう。ただ15年前と比べれば、取捨する要素は相当に増えた。シンプルになったのは「CPUのスペックは以前ほど気にせんで良い」ということくらいだろうか。 脱線すると、第2世代i3ですら、そこそこのSSDに換装したら概ね滑らかに作業出来るのだった (CUIだけど)。問題はいつ壊れるかくらいだ (超大事だな!)

haltの挙動

Ubuntu 16.04 で halt を実行したときにPCの電源が切れなくて焦った。明らかにシステムは止まってるんだけど。 運悪くも Ubuntu 16.04 には停止時のバグが「ある」もしくは「あった」らしく、調べるとむしろそっちに関するトピックが盛り上がっていて混乱した。その流れでsystemctl start debug-shellなんてのを覚えたが、今回はデバッグするまでもなく、そのデバッグ用のシェルも停止する。「どうも本当にシステム停止には成功しているような……」みたいな気持ちになり、トラブルシューティングの仕方を見直した。 で、冷静に調べてみると  halt コマンドは電源を停止するコマンドではない「ことがある」 という事実を初めて知ってビビった。あくまでシステムを停止するまでがhaltの両分であって、電源を停止するかどうかは実装に依る。さらに言えば、haltコマンドの本来の意図は「緊急停止」という説明すら読んだ。ゾッ…… 自分はだいぶ昔にhaltを使うように教え込まれたか勘違いしたかで、ずっと使っていたのだが、間違いだ。明白に間違いだ。 正解は、むしろベーシックな解説ではもっとよく見る shutdown -h now、あるいはpoweroffというコマンドがあればそれ。普通にLinux入門とか呼んでいれば多分そっちで覚えるはず。 ただ……これまでは halt でも電源断してくれるLinux環境の方が多かった気がするし、緊急停止もなにも普通にシャットダウンシーケンスに突入していた気がする。むしろ使っていたLinux環境はそっちばかりだ。何故、今頃になってこんなベーシックそうなコマンドに変化が? 正確な歴史は調べていないし調べるつもりもないけど、ネット上の断片から推測した内容は以下の通り。正しい歴史 (Linux以外も含む) はもっと詳しいUnix歴史家に任せたい。 本来のhaltは緊急停止に近い意味合いで、電源も切るのは管理者の役割だった sysvinitの(それなりに新しい)実装ではrunlevelを0 (停止) か6 (再起動)にするコマンドとして実装され、この際にはshutdownやpoweroffと動作が同じになった 今はsystemdの採用が進んでいる。systemdが採用されている場合、halt, power

Python講座3回目

Python講座の3回目が決まりまして、小躍りなう。というわけで、宣伝です。 好評の講座『道具としてのPython』~最適なカリキュラムで学ぶ2日間~ 6月24日/25日に再び開催! 非常に好意的なアンケート結果を頂いておりまして、嬉しい限りです。 その中でも個人的に注目したいのが「プログラミング歴」の幅広さに関する部分。上記サイトの「受講者の声」から引用しますと: 【プログラミング歴】HTML, CSS, R, TeXを少し。 【プログラミング歴】Pythonの基礎的な部分しか分かりませんでした。 【プログラミング歴】大学時代にC言語を少々かじった程度。 【プログラミング歴】5~8年くらい。 【プログラミング歴】いつもはbash, Java, php。Erlangはある程度。 【プログラミング歴】ほぼなし。 受講生のバックグラウンドが非常に幅広いのが講師としてもチャレンジングでして、色々勉強になっています。比較的間口の広い中で好評頂いているというのは嬉しいですね。 興味をお持ちの方においては、参加ご検討頂ければ幸いです。 申し込みページ (Peatix)

技術書の装丁

ある技術書をネットでポチった。出版社自体はそこそこ有名ドコロ。 届いた本は、今流のオンデマンド印刷をベースにした装丁が簡素なもの。このこと自体はポチる前から分かっていて、むしろ、その出版社が推し進めている新たなラインナップみたいなもんの1つになってることが買う前に確認できていた。で、「まぁ少し品質下がるくらいだろ」みたいな気持ちで、正直あまり気にしなかった。甘かった。 実際のところ、同じラインナップで以前買った本は、本の体裁こそ雑だけど、本として全然問題なく読めたし、情報源としては貴重だった。プログラムの本というよりは技術トレンドの本だったというのもあるんだろうけど、良著と言ってよかった。 ところが今回は事情が違った。ポチった技術書を開いて絶句。内容以前に「これはダメだな」と一瞬で脳が判定してしまい、肝心の中身を確認する以前に、そもそも本を開き続ける気力からして消え去ってしまった。 先日「技術書典2」を運営として手伝った&サークルとして出展したりしたけれど、そういうところでサークル(つまり個人)がひねり出してくる同人誌のほうが、本の厚さはともかく「愛」があったし、しかも装丁もまともだった。別に表紙に箔押ししろって言ってるんじゃないのさ。単にちゃんと読めるもので面白ければいいわけ。 で、問題の本の話。技術書籍として内容が良ければ良いのだろ、というのはもちろんある。ただ、一見してソースコードがとても読み辛いというプログラム関連の本としては大変に厳しい問題があって、一人の読み手の判断としては「最低ライン」を下回っているのだった。ぱっと開いてウェってなるものをなんで出してくる…… 本文が読みやすいか読みにくいかというのには、当然主観が混じる。今回も大いに混じっている。ただあえて言うなら、これまで「出版社」から出てきた本で見たことのないようなものに、自分には思えた。 商業書籍の「匂い」を期待して本を開いたら、ワードを使って上下左右マージンをめちゃくちゃにして大した意図もなくフォントサイズとフォントを標準から変えてベタベタベタって書き付けたレポート本文がドーン。そんな感じ。 もう一度本を開けば、多分こんな負の感情も少しは落ち着くんだろうけど、どうにも「手抜きでも買うんですよね、あなたら」感がすごくて、自分が本から受け取った負のオーラみたいなものを

技術季報 vol.1

技術季報 vol.1 こちらは運営側として宣伝します。 いわゆる「カタログ」に相当するパートもあるんですが、個人的にはそれ以外の各種の「企画」に力が入っているところに注目頂きたいところ。 単なるカタログとしてだけでなく、独立した1冊の書籍として、是非手にとって見て欲しいです。サークルさんの寄稿部分もありまして、従来の意味での「同人即売会のカタログ」とは一線を画しています。 いや、これ、なんか色々すごいんだよ。

技術書典2 あ-03 『もわねっとのPythonの本』

イメージ
『もわねっとのPythonの本』 30p弱の薄い本。会場での販売予定価格は600円です。 エモい言い方をすれば「 Pythonを学び始めた当時の私が欲しかった本 」を目指しました。 先日、角川アスキー総研のご協力で Python講座 を担当させていただきまして、おかげさまで大変な盛況でした。次回についてのお話も前向きに検討いただいているようです。ご興味の方いらっしゃいましたら、一言いただければ開催のご案内くらいまでは出来ると思います。 講座にご参加頂いた方の顔ぶれも幅広く、個別にお話を伺った限りでも、プログラミング入門者から日々データサイエンスに勤しんでいるような方までいらっしゃったようです。Pythonという言語がより広い分野でプログラミングの入り口になってきたことを感じます。 ところで「Pythonは直感的なプログラミング言語」などと紹介される一方、落とし穴も、もちろんあります。それも、なまじ「直感的」っぽいもんだから、ハマると「アルェー?」というのが。言ってみればPythonの特徴みたいなもん。 Pythonを「新しい言語」と勘違いしている方もいらっしゃるんですが、結構歴史がある言語です。Pythonで新しいのは「Deep Learning」みたいな今まさに発展途上の応用分野とそのライブラリであって、Pythonそのものではないです。むしろ、プログラミング言語として歴史があって人気もあり、科学者等のコミュニティからのサポートも含めて足場がしっかりしているからこその今のブームなんじゃないかとも思うわけです。 で、歴史がある言語ってのは大抵、歴史的経緯があってそれに伴う「罠」もあるものです。知ってる人からすると経緯が分かるからする〜っと抜けちゃうところ、初学者とか他の言語から入った人だと「なんだよそれ」みたいな挙動があるのは確かです。 一方、Python入門書では「Pythonらしい特徴」はすっ飛ばされることもあり、プログラミング入門者だけでなく他のプログラミング言語経験者でも、使いはじめてから「あれ?」と思うこともしばしばではないかなと思います。 最初にPythonを学び始めた頃のことを全部覚えているわけでもないのですが、Java言語の本で「OOPって、こういうもの」みたいなドグマティックな説教を読んだあとにPythonのカ

Civ6

長いことやりたくてやってなかったので少しやってみた。難易度はまだ「王子」(ハンデ・逆ハンデなし) いわゆる「制覇勝利」だとつまらんかなーと思って科学とか文化もやってみるが、極論すると「科学でぶっちぎって素直に殴る」やれば他の勝利もついてくるんじゃね、みたいな気持ち。非暴力宗教とか意図すると今度は無駄に辛い。難易度を上げようと思ったところで時間切れ。おしまいまたね。

マリオラン個人的まとめ

イメージ
とりあえずの目標として以下を設定した。 コインをすべて取る ケーキを取る (キノピオ = 2000:1000:1000:500:500) で、昨年(2016)末に達成した。 ※ 1.1でキノピオの取得難易度などに調整が入ったとのこと (2017年1月31日)。この記事はそれよりも前に書かれているので参考程度に。 ワールドツアー ワールドツアーのコイン取得については、一つずつとり方を確認しながらやっていくだけ。先にやっておくとキノピオラリーの安定度は上がる。はてなブロックやボーナスステージの家を王国に配置してそれなりの頻度で使っておけばキノピオラリーのチケット不足になることはほぼないので「ワールドラリー → キノピオラリー」と順番にやりこんでも不都合はあまりない。強いて言えば、飽きる。 キノピオラリー 自分の場合、ブラックコイン取得時点では(確か)次のような状態だった。 ここからキノピオラリーの「ケーキ取得」を目標にした。赤:青:緑:紫:黃 = 2000:1000:1000:500:500 獲得すれば良い。ピーチ城の完成には総数4000人いれば良いので、この過程でこちらは勝手に達成できる。 各ステージを一通り試した後、人数の比率で赤:青:緑:紫:黄=4:2:2:1:1の状態に持っていき、後半「平野」「クッパ城」「空中戦艦」に集中することにした。「平野」は赤キノピオ、「クッパ城」は赤、青、緑、「空中戦艦」は全色を取得するのに使う。比率を固定にしたのは、ピノキオ数の管理を楽にするためと、嫌いなステージをやる手間を避けるため。全部まんべんなくやっても結果としてケーキは手に入るが、回り道になる。 #ステージ名称の正式名称が良くわからないのでここでは勝手に名前を付けた。「平野」「洞窟」「おばけ屋敷」「空」「砂漠」「クッパ城」「空中戦艦」と呼ぶ。 キノピオラリー全体の傾向として「スターが強すぎ」という問題があると思う。固定のスターが取れるかどうかで勝敗が決まるのも辛いが、むしろ、ランダムにアイテムを得られるブロックでスターが出るかどうかで勝敗が決まるケースのほうが気持ち的に辛い。後者は運以外の何物でもなく、一度相手にやられるとこちらが少々うまい程度では劣勢をひっくり返せない。

2016年末

○ みんなみんな英雄 なるほどAU こういうのは紅白見ていて良いなぁと思う。 ○ 48とジャ 「多すぎだねー」と思う2大巨塔。そんなにいなくても良いと思う。 ○ PPAP 「注目浴びる舞台で堂々としていられるだけでもすごい」というコメントを聞いてなるほどと思った。武田アナを動かしたのも功績だ。 ○ シンゴジラ@紅白 むしろヤシマ作戦の曲が紅白に使われたことにウケた。良く色々引受けてくれたな周囲の人……w ○ 恋ダンス と 愛の賛歌 どっちかに投票しろと言われましても…… 紅白の「歌合戦」というフォーマットに疑問を感じた。 ○ 星野源 バックダンサーと振り付け合わせる瞬間がピタッと合いすぎててスゲェと思った……ってそこ見てる人あんまりいないか。 ○ 結果 「恋ダンス と 愛の賛歌」と同じで、なんでやってんだろ、という気持ち。惰性。 ○ 君は薔薇より美しい (山崎育三郎) 上手いなぁと思って勢いでアルバム買ってしまった。しかしアルバムだとあまりオーラがなかった。 ○ ダッタン人の踊り お、おう