Frozen (アナと雪の女王) 感想

アナと雪の女王

良かった。以下感想を述べる。ネタバレについては一切考慮しないのでよろしく。




○ ストーリーについて

非常に洗練されていると思った。

以下、アナが後半で受ける「呪い」と「真実の愛」に関する展開について、メモ代わりに書いてみる。

クライマックスに至るまで一貫して「ハッピーエンドに対して一人以上余る」展開だった点が、まず自分にとって気になっていた。

山登りの時点では、ハンス(王子)とクリストフ(氷売)のどちらがアナとペアになってもおかしくはない。ただ、それではツーペア(アナx誰か、エルサx誰か) にはならない。

仮にこのあと、クリストフがエルサに一目惚れした展開を想像したとしても、不自然だ。特にドワーフとのシーンは、この時点でハンスは当て馬で、最後の「王子様」はクリストフだということを予期させている。

ハンスの本性がわかってから、今度はハッピーエンドになって欲しい対象が「三人」になる。男一人に女二人で、エルサがクリストフとつながる見込みはこの時点でもう全くない。

エルサが確実に余る。恋愛のコンテクストでだけ「愛」を考えると、エルサにくっつく男性がオラフと例の巨人くらいになってしまうのだ。

ドワーフの結婚式もどきのシーンからすると、ハンスがアナと恋仲になること自体は自然(本人もまんざらではないし)として、この解決方法を貫いてしまうと、実際には魔法の被害者でもあるエルサはせいぜい「単なる免罪された悪役」程度で話が終わってしまう。

姉妹のある種の確執も、満足に解決されない。「クリストフがアナをすくいました、呪いをやっつけました、エルサは改心しました」……違うだろそれは。エルサはやっつけるべき魔女じゃないのだ。

そして「真実の愛」だ。

ドワーフの長老の話を受けてからハンスの本性が明らかになる時点まで、アナたちは、誰かから愛情を受けること(「受動的な愛」)によって問題が解決される前提で、呪いを解釈していた。しかも「一人目がダメなら二人目にすればいいじゃない!」みたいなノリである。

最初に直情的にハンスと婚約までし、そのせいで姉に呆れられた結果、問題の一端を担ったアナである。あきらかに「尻軽じゃねーか」という行動のその頂点が「真実の愛(受動態)」だと言われてしまっては、駄作としか言い様がない。

ハッピーエンドになって欲しい主要人物が少なくとも「三人」という問題と、さらに「アナ、何かヒロインとしてダメじゃね?」という疑問の両方が綺麗なハッピーエンドを妨げることは見ている自分にとっては明らかで、「これどうすんだ」と見ていて思ったわけだ。

脱線。一点、指摘を受けて納得したことがある。ストーリー内の「愛」の定義からすると、実はアナはクライマックス以前に既に「受動的な愛」を強烈に受けているのだ。そこで呪いが解かれていない以上、実はクリストフからキスされてもおそらく呪いは解けなかったのだろう、ということが判明してしまう。

トロールの長老は一言も「キスだけが唯一絶対の真実の愛の示し方」とは言っていない。取り巻きがわぁわぁ騒いだ結果、勢いで「愛のキスが男性から女性にされれば呪いが解ける」と観客も主人公たちも誘導されたのだが、実際には、クライマックスの呪いはキスでは解かれていなかった。

「真実の愛」とやらが呪いに効果があるというルールまでは理解できるものの、長老の説明ではそれが「相手から受ける(= 受動的な)愛」なのか「自分から誰かに与える(= 能動的な)愛」なのかは、説明がなかった。

そこで、クライマックスの手前で、オラフが実は主人公に超猛烈に愛情のある行動を取っている。

暖炉を温める時点で「自分が融けてもいいけど今はまずい」とオラフが言っている。献身的なことこの上ない。この時点で私は「こいつこんないいやつなのwwww今キスすればwwww」と思わずにいられなかった。このオラフの行動は紛れも無く「真実の愛」のカテゴリなのではないか……?

おまけ: これだけいい奴がハッピーエンドのその場に居られないしたら、それはそれでディズニー的ではない気がする。とすると、上記の様々な「ハッピーエンド上起こりそうな矛盾」に、さらに「オラフの生存」も付け加える必要があるとおもう。オラフの存在は、エルサの魔法が「消滅」してはいけないという制約条件につながるのだ。死んだり魔法を失っては、この条件は達成できない。

順序が逆になっているが、「真実の愛」の表現は必ずしもキスである必要はない。オラフの心からの献身的行動を見る限り、実は暖炉のシーンで、アナは受動的な愛情をとっくに受けているはずなのだ。しかし、物語ではこれではアナの呪いが溶けていない。「受動的な愛」では呪いは解けない。

# 追記: 英語版では「真実の愛」は"act of true love"なんだそうだ。具体的な行動が必要で、オラフはアナに対して「直接的には」それはしてないので、呪い解除の条件にはちょっとなりづらいのかも、と思う。……やっぱりあの場所でキスしろよ!!しても意味ないけどなー!!

以上から、今回のゲームをクリアする上での制約条件は、大体以下のようになる:
  • ディズニー映画としては、主人公エルサ、アナ、クリストフを犠牲には出来ない
  • 主人公奇数人に対する「真実の愛」の適用方法が謎。一人余る
  • 中心人物であるアナが、ヒロインらしい振る舞いをあんまりしてない
  • 受動的な愛なら、アナはそれっぽい対応をオラフを一度受けているが呪いは解けてない
  • 善良な脇役であるオラフも、解決方法次第では退場してしまう可能性がある
しかしクライマックスでは、これらの疑問をアナのたった1つの行動によって完璧に解決してしまった

一瞬、観客として何故融けたのか、自分には全くわからなかった。「これが真実の愛だったんや!」という説明を聞いて、一発で全てが疑問が晴れたのだった。

上の制約条件はアナの二択に対する回答で以下のように氷解した:
  • 主人公組は一人も死ななかった。
  • 一人余る問題は、2種の愛の組み合わせで解決された。1つは姉妹愛で1つは恋愛。
  • エルサの尻軽さは解決されてはいないものの、悪感情を持ちようのない勇敢な行動がヒロインとしての正当性を与えた
  • 呪いを解いた愛は「能動的な愛」で、それまでの「受動的な愛」よりもフィナーレにずっと相応しいものだった
  • オラフもシナリオに不整合を起こすことなく生き残った
もちろん冷静に見れば、アナが見せたそういう態度も当然「愛」だよねあたりまえだよね、という話なのだが、自分は本編で全くそちらの可能性を想像出来なかった。演出の妙、とでも言うのか単に見ている自分のレベルが低いのか……!

クライマックスシーンで、特にエルサがいとも簡単に自身の魔力をコントロールできるようになった点も、解釈によっては見事なのだと思う。

アナとエルサの二人はずっと、城に幽閉され、他社とのコミュニケーションは貧弱な状態だった。そのためか、エルサとアナは二人共、「能動的な愛」の扱い方に不自由だった。実際、ハンスはアナのその弱さに浸け込んだわけだ。

最後のシーンは、二人がそういった欠点を克服し、国の幸せな未来をも暗示させるものになっている。アナとエルサが物語を通じて大きく成長したことを明確に指し示している点で、二人の成長物語としても満額回答を提供しているのだ。

愛をとりもーどせー

ところで、物語全体を通して伏線回収等が見事なのだけれど、回答しきれていないものがあったように思える。「そもそもこの国、何で成り立ってんのさ」という話であり、小悪役のじじいが言っていた「この国が栄えている秘訣って何さ」って話だ。

私の予想は以下のとおり。この王国は全体が海に面しており、戴冠式でも多数の船での訪問がなされていることから、「貿易のハブ」という至極まっとうな方法で儲けていたというものだ。逆に、山間には商業的に成立しそうなものがあまりない (強いて言えば氷)。

そうすると、小悪役のじじいについて
  1. そんな基本的なことも理解できないバカがトップを占める国だった
  2. 貿易のハブから見限られたため、多分あっちの国は物語のあと割とピンチである
と、一応解釈できる。ザマァwwwww

○ 英語について

極めて平素で聞き取りやすかった。それでいて十分に英語のジョークが含まれているという意味でも、子供向けだ……良い意味でよ!あくまでいい意味で! (そういえば妙にこういうセリフも多かったな)

思い出せるものをいくつか。

ordinary。姉がバケモノだからお前もか、というシーンで、ハンスが「この子は ordinary だ……あくまで良い意味で」と言っている。ordinary は「平凡」という意味でもあるので、一言付け加える必要があるわけだ。「平凡な娘だよ」という意味になってしまいかねない。もっともシナリオ後半から分かるが、多分ハンスの本心でもあり、使い方からよく練られている。

beautifuler という表現。シーンは忘れたが慌てたアナが使っている。そのあと言い直して「言ってみれば more beautiful よ」というふうに言い繕っていたように記憶している。典型的な英語のミスだが、本編では同様にして、登場人物が焦ってトチるシーンがそれなりに多い。日本人でも聞き取れるレベルで間違えるので、感覚を身につけるにはかなり適していると思う。

歌詞。日本語が非常に冗長な中で、平易で綺麗な英語詩の表現を学べる、という印象を受けた。

http://birdkaptanto.blogspot.jp/2014/01/for-first-time-in-forever-kristen-bell.html

"At least I've got a chance." あたりで「やべぇかわぃい」みたいな。

(上の和訳だと「チャンスが訪れる」としごく中立的な表現に落ちてるが、自分の印象では「少なくとも恋愛出来るチャンスくらいはゲットしたわ」というところ。声のトーンが小さくなってるので、まだこれから、という気恥ずかしさまで伝わってくる演出である。実際のところ、歌い手であるアナは一度焦って劇中で見事撃墜されている、という点も1つ)

その他、詩は知らないが everyone と the one の使用など、学ぶポイントが多いと思う。

○ 3Dについて

以前見た別の映画と比べると、格段に3D演出が自然になっていて驚いた。

個人的な「演出大賞」は、クライマックスシーンでエルサが泣いているシーン。

全体的に吹き荒れる雪嵐の3D表現も見事なのだけど、このシーンではアナとエルサの周囲で氷粒が静止している。この瞬間、世界が半ば「停止している」様に見えるのは、ひとえにこの周囲の停止した氷粒のおかげだと思う。

このあと、エルサの手によって、氷が周囲から消えて春が訪れる(「動」)が、その前振り(「静」)を綺麗に表現していると思う。

ちなみに、好きだった演出の次は同時上映のミッキー。

○ タイトル

Frozenが英語のオリジナル。なので冒頭でもFROZENって出てきてたと思う。

日本語タイトルは、日本人向けには分かりやすくなっているが、本来の英語に込められたダブルミーニングは死んでいると思う。個人的には英語のタイトルの方が自分は好きだ。

氷のFrozenと、心を閉ざしている (Frozen Heart) をかけている(多分)。クライマックスで氷解するのは氷に閉ざされた王国と、お互いの心というわけだ。

○ おわり
おわかりいただけただろうか……?
自分の解釈が「あってる」かは知らないが、以上のような色々な要素が組み合わさっていて、本作は色々な意味で極めて出来が良いと思う。

ディズニー系の作品を最近全く見てないのだが、さかのぼっていくつか見た方が良いのかもしれない。


なお、誤り等があったらTwitterやFacebook等からお願いします。


○ 投げ銭

Noteで全部書こうと思ったのだがあまりに書きづらいので、記事自体はとりあえずこちらへ書いた。投げ銭は以下。

https://note.mu/amedama/n/nc6d531bd3a6b

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