ちょっと考えてたこと

年齢柄、というのはおかしい程度にはまだ若めのはずなんだが、勝ちにこだわる感じより、どう勝つかとか、あるいはむしろ、負け決まってるのだけど敢えて残ってどうやって撤退するかを考える、といった人生の局面に興味がわいている

前職の某社は基本的に世界的に見て勝ち組の会社だった。無難に人生を終わるのなら辞める理由は多分なかった。最後についてたマネージャの評価も悪くなかった。

ただ、色々な外部の話を聞いていた時、自分の人生設計も含めて考えて、あと30年やるには微妙に思えた。何が微妙かと言えば、そこそこ読めすぎることだった。成功失敗という話で言えば、例えば銃撃戦に巻き込まれるという事故はあり得る。でも仕事として見れば、勝ち組の勝ちのレールを敷いている点で変化はない。ITという軸足を大きく離れるわけでもない。あの会社でITを否定するための仕事というのは、難しい。イノベーティブという言葉の影に絶対にない線が色濃くなっている印象を受ける。

そもそも私はストレートに技術を信奉する気持ちがない。ITというのは人を(なにかの)奴隷にしていく技術だと思ってる。それにどっぷり浸かって楽しいという気持ちがないので、どっぷり浸かって楽しいだろ、と煽って儲ける会社は基本的に合わないのだと漠然と思った。

しかし恐ろしいのは、合わない合うに関係なく、当時にしても今でも、あの会社の社内にいる分には引き続き面白く感じられ、末永くそう感じられたのだろう、ということだった。一歩引いて斜に構えまくって、さらにある程度社会事情に合わない程度の悪意を加味して、ようやく全体の構造にゾワゾワするような話をもとに、私は会社を辞めてみている。自分をめすめらいずすれば30年いられた確信すらあるというところだ。気分的に微妙になる機会は辞めてからの方が増えてる。馬鹿呼ばわりされることも少なくはない。ただ、ちょっとだけ不思議だ。その馬鹿呼ばわりは何故か暖かめである。

話は変わる。とある知り合いが、成長志向あふれる会社で、隣に創業メンバー(=株で大儲け)がいるような状況を「なんか、搾取されてる感が半端ないんだよね」と言っていた。その気持ちはよくわかった。ただあえて言えば、そういう発想になって日々を生きている精神状況だとすれば、仮に大成功しても次に不安感の種を見出すだろうと思った。起業して成功してお金持ちになったとすると、そのあとは、きっと政府やそれ以上の大企業からの圧迫、会社員の怨念やら一般社会の意味のない羨望に過敏に反応するんだろうと思う。つまり、成功しても彼は幸せな気分になれるかは微妙なのではないか、と思った。金持ちのほうが不幸である割合が高いのには、きっと理由がある。

それでも自宅にDDRあったらよさげなもんだけど。

本当にぬるく生きるのなら日本にいる有利点はあまりない気がする。今の日本は比較的ハードモードだ。アメリカ西海岸のノーマルモードとか、発展途上国もしくはそれ以前のベリーハードとかとは違う。衰退していく苦痛を味わうハードモードだと思う。富裕という過去の栄光がゆったり減衰する過程で、成長を前提にして債権をぶちまけた国にいたら、ゆったりどころでない撤退の苦痛を味わう気がする。景気なんて一時的によくなっても、人口減ったら支払う一人あたりの負担は増えるのだ。そもそも、自己意識がしっかりしてないと、全世界で上位2%の富裕状態にあっても鬱になれる。外世界が「衰退」するというゲームは、それに輪をかける。あなたが死ぬときに振り返るその国は、あなたが生まれた時より多分悪くなってる。今この国の人がそこそこ海外でゆるやかに好意的に見られてるのは私ら世代のおかげじゃない。多分毀損して人生を終わる。これは、くつじょくだぞ

なんで帰ってきたのかというと、「その」苦痛をわざわざ味わうためなんだと思う。つまり、勝てば楽しいよね、ってのには、よくわからんが飽きてる。どこかで、勝ち方にこだわるし、こだわって負けたら、そのときに悔しくてげんなりして鬱だスノウ状態になってても、多分生きたって気分にはなるんだろうなぁと。

勝ったことがあるわけじゃ、ないんだけどね。

日本国外のほうが有利と言ってもなぁ、と思う面は、あったのだと思う。勝ち馬に乗るのが人生の全てではない気がする。勝ちの路線にいたとしても、振り返って微妙な気持ちになるのは微妙だ。ここ10年で生活が何かに汚染されてきたような気分がある、他ならぬITとかいうものによってだ。それに柔軟に対応していると主張する人も多い中、猫は飼えないし筐体も買えないし預金の代わりに奨学金の借金に困ってるのに今の世の中が世界をよくしてると信じたい人がいる。よいんだろうか。少し勝ち馬列を離れて眺めてみたいと思っても、まぁいいんでないかとは思った。

へっぽこだけれども哲学に興味が出てきた。有名なじょんさんの名言をはっとく
「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。 同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。 」
ただ、自分的には、満足な豚も幸せだぞ、と思う。選択の自由があるんだから、勝手に選ぶのだ。

ふとらせてたべるのだ

でもあれこれ考えていても、生活費が少ないと考える余裕もない。来年あたりには真逆のことを言ってるかもしんない。やはり小屋でぬくぬくしてるほうが幸せやね。

このブログの人気の投稿

風花雪月

pemって言ったら改行も仕様に含むんだよもん

LibreOfficeで表紙、目次、本体でフッターのページ番号のスタイルを変える